クリシュナムルティの書籍
1.良い入門書
クリシュナムルティの伝記作者、メアリー・ラッチェンスにより巧みに編集されており、FREEDOM FROM THE KNOWN(和訳『自己変革の方法』、『既知からの自由』)は、彼の最も有名な書籍の一つである。クリシュナムルティは初めてという人にとって、そして、彼の仕事の簡潔で流暢な説明を求める人たちにとって、完璧である。それは、数多くのクリシュナムルティの講話より抜き出されており、彼の教えの中心的な主題の多くを、深く、だが、近づきやすく探検する。諸章には、「私たち自身について学ぶ」、「楽しみの追求」、「正当化と非難」、「エネルギーの消失」が、含まれている。変化の重大な必要性とその可能性が、この本でクリシュナムルティが伝えなくてはならないことの本質である。その中で、彼はこう述べる - 「どの問題をも理解し、自由であるには、私たちは、大変多くの熱情的で持続的なエネルギーが、必要である - 物理的と知的なエネルギーだけではなく、どの動機や心理的な刺激にも依存していないエネルギーである。」
The BOOK OF LIFE(和訳『四季の瞑想 クリシュナムルティの一日一話』)は、時のない365の日々の冥想を、提示していて、毎週、テーマごとに進展する。年が進むにつれて、精選された文章が、クリシュナムルティの教えの全域を解明する - 年の初めの、権威、信念、関係から、セックス、智恵と暴力へ到る。7月と8月の主題は、幸せ、傷、真理を含んでいる。思考、時、変容、愛が、9月から11月までの主要テーマである。クリシュナムルティの多くの講話と同じく、一年は、宗教と冥想でもって終わる。クリシュナムルティを初めて発見しつつある誰にとっても、また、この途方もない霊的な賢者の智恵を、大切にするようになった、すべての人にとっても、The BOOK OF LIFEは、毎日、重宝する深遠な洞察の集成である。「人類の物語が、あなたの中にある - 広大な経験、深く根づいた恐れ、心配、悲しみ、楽しみ、そして、人が幾千年をとおして蓄積してきた信念すべてが、である。あなたは、その書物である。」
THE FIRST AND LAST FREEDOM(和訳『自我の終焉』、『最初で最後の自由』)は、クリシュナムルティの他のどの本よりも、多くの冊数を売り上げてきた。作家オルダス・ハックスリーは、1930年代の終わりに、クリシュナムルティと友だちになったが、彼が序文を書いていており、その中で彼はこう述べる - 「ただ、選択なき気づきのみが、全的な理解と全的な愛の中で、非二元性へ、両対極の和解へ、繋がりうる。」と。ハックスリーは、自分の充実した序論を、クリシュナムルティの力強くも洞察に満ちた言葉で、終えている - 「愛は、愛である。精神により、排除的だとか包括的だとか、定義されたり、叙述されたりされるべきではない。愛は自体の永遠である。それは、実在するもの、至高のもの、測量不可能なものである。」と。この本は、Freedom from the Knownより広汎であり、講話に基づいた、題名をつけた二十一の章と、さらに、質疑応答から作られた三十八の章を、収録している。章の題名には、「私たちは何を探し求めているのか」、「自己とは何か」、「考えることは私たちの問題を解決するのか」、「関係について」、「精神の静けさについて」を、含んでいる。出版に当たって、「オブザーバー紙」の書評は、「聞きたいと願う人たちにとって、この本は、言葉を越えた価値を、持つだろう」と述べた。
2.古典的な作品
暴力は、「湖に落ちた石に似ている」。波が拡がり、拡がるが、中心に「私」がある。この「私」が、微妙にか大雑把にか、どの形でも生存しつづけるかぎり、暴力があるにちがいないと、これらの講話と討論会で、クリシュナムルティは言う。個人的な暴力と集団的な暴力の問題を取り扱う他に、BEYOND VIOLENCE(和訳『暴力からの解放』)は、宗教的な精神は何であるのか、何でないのか、瞬間瞬間の気づきが可能な精神に対する、頻繁な論及を、収録している。私たち自身の中の暴力、ゆえに世界の中の暴力を終わらせるために必要な、人間心理における根源的な変化は、恐れ、心配、安全でありたいとの願望からの完全な自由をとおしてのみ、訪れうると、クリシュナムルティと言う。この本は、サンタモニカ、サンディエゴ、ロンドン、ブロックウッド・パーク、ローマでの公開講話と討論会を編集したものから、構成されている。
もう一つのクリシュナムルティの古典的な本は、THINK ON THESE THINGS(和訳『子どもたちとの対話』)である。それは、三百万冊以上、売れており、世界的に二十二の言語で出版されている。この本は、とりわけ、真の文化を探検する。それは、継承や学習の事柄でもないし、才能のそれや、さらに天才のそれですらなくて、「幸せ、神、真理を見つける、時を越えた動き」である。「この動きが、権威、伝統や恐れにより妨げられるとき、衰退がある」。この本の中で出てくる質問の幾つかは、「恥ずかしがりとは何ですか」、「嫉妬とは何ですか」、「幸せとは何ですか」、「悲しみとは何ですか」である。序論には、こう言われている - 「この書籍に収録された材料は、元来、学生、教師と親に対する講話の形で提示されたが、その鋭い洞察と明快な単純さは、あらゆるところの、すべての年齢の、あらゆる立場の、思慮深い人々にとって、深い意味を持つだろう。」
クリシュナムルティは、私たち自身や外の世界を観察しているとき、非難しよう、評価しよう、結論しよう、判定しよう、解釈しようとする、どの衝動をも手放すよう、私たちを招待する。THE FLIGHT OF THE EAGLE(和訳『自由への道 空かける鳳のように』)の中で、彼は、この深遠な、明らかに見ることを、世の中の葛藤、抗争、戦争と苦しみの脈絡において、探検する - 私たちはそれらに、部分的に気づいているだけなのかもしれない。「内の盲目」の兆候である。これに対処するのに必要な、精神の本来的な智恵は、過去に基づいて考える中、恐れの歪曲、私たちが互いについて持っているイメージに基づいて考える中で、むだにされつつあると、クリシュナムルティは提起する。ヨーロッパで行われたこれらの講話が展開するにつれて、クリシュナムルティは私たちに、自分が言っていることへ「入り」、先入観からの自由でもって探検するよう、促す。クリシュナムルティは、自分自身におけるどの権威をも拒否して、「生は、どの教えより偉大である。どの教師より偉大である」ことを、提起する。
3.執筆された著作
クリシュナムルティの日記とノートブックは、彼の最も簡潔で直接的な教えの幾つかを、収録している。KRISHNAMURTI’S NOTEBOOK(和訳『クリシュナムルティの神秘体験』、『クリシュナムルティ・ノート』)は、彼の知覚と意識の状態についての日々の記録である。それは、彼の最も個人的な仕事を、提示する。クリシュナムルティは二十八歳で、自らの人生を変える霊的な体験をしたが、その後、長年、頭と脊椎に、鋭くほぼ継続的な痛みが、続いた。このノートブックは、この「プロセス」が長年の後、やはり続いていたことを、示している。その本は、こう始まる - 「晩にそれがあった。突然にそこにあり、部屋を充たした - 大いなる美しさ、力、優しさの感覚。他の人たちは、それに気づいた。」この独特の記録は、クリシュナムルティの教えの源泉と呼べそうなものである - 本質全体がここにあり、その自然な本源より生じている。KRISHNAMURTI’S JOURNAL(和訳『クリシュナムルティの日記』)は、彼の単純な、豊かに詩的な文体を、浮き彫りにする。自らの教えがどの程度、自然により触発されているかを開示する、鮮明に描写的な文章をとおして、クリシュナムルティは、冥想、意思疎通、自己の気づきといった、時を越えた問題を、取り扱う。鋭い観察と神秘的な洞察に満ちていて、この日記は、静穏で開いていて、深遠に黙想的な性質を、開示する - 「静かな夜に、精神の静かな停止の中、果てしない美しさであるものが、来た。招かれず、探し求めず、認識の物音なく。」
The Commentaries on Livingのシリーズ(和訳『生と覚醒のコメンタリー』全四冊)を作り上げる三巻の本は、とりわけ、野心、英知と恐れの本性、そして、真の行為は何かの、主要な問いについて議論するが、クリシュナムルティの書籍の中では、最も読みやすいものの一つである。オルダス・ハックスリーが、クリシュナムルティに、これらの評論を書くよう勧めたが、これらは、クリシュナムルティが会った普通の人間たちとの一連の対話から、構成されている。インド、ヨーロッパ、アメリカにおいて、様々な景色を背景に、ここに記録された会合は、鮮烈で、啓蒙的である。発売時に、このシリーズは、全く新しいジャンルの著作を提示すると、言われた - 自然の叙情的な記述と、哲学的な考察と、心理的な洞察が融け合い、すべてが、深く宗教的な感性により精通されており、明晰で魅力的な散文で述べられている、と。全三巻にわたって、クリシュナムルティが触れない生の様相を、見つけることは、難しいだろう。大いに適切なことに、アイデンティティ(同一性)を含めて、である - 「自己の道筋への旅を引き受けなくては、真理や幸せは、来られない。あなたは、繋留されているなら、遠く旅をできない。同一視は、避難所である。避難所は、保護を必要とする。保護されるものは、すぐに破壊される。同一視は、それ自体に破壊をもたらす。ゆえに、様々な同一視の間に、常なる葛藤、抗争をもたらす。」
4.若い読者のために
あなたは誰なのか。あなたは何なのか。あなたは生から何がほしいのか。WHAT ARE YOU DOING WITH YOUR LIFE?(和訳『人生をどう生きますか』)において、クリシュナムルティは、関係と愛から、心配とさびしさまで、生の多くのハードルに関して、啓発的な智恵を、提供する。彼は、「生の意義とは何なのか」と、「私はどうやって生を、十分に生ききるのか」といった問いに、答えて、自分自身に誠実であることの重要性を、開示する。彼は、従うべき道はなく、上の権威はなく、導師はないこと、そして、究極的には、私たちが自らの生をどう生きるかに関して、それが私たち自身の責任であることを、指摘する。この本は、互いに切れ目なく流れ込む、読みやすい短い段落に、編集されており、クリシュナムルティの教えへの良い入門書である - 特に青年や、人生で自らが行ってきた選択を問いはじめた人たちにとっては、そうである。近年、クリシュナムルティの本のうち、最も売れたものの一つであり、その四つの部分は、「あなたの自己と生」、「自己認識 - 自由への鍵」、「教育、仕事と金銭」、「関係」である。
「若い友への手紙」という副題が付いた HAPPY IS THE ONE WHO IS NOTHING(和訳『しなやかに生きるために 若い女性への手紙 』)は、独特なクリシュナムルティの本である。それは、身も心も苦しんでいる若い人に宛てて、書かれた書簡から、構成されている。「生は、剃刀の刃です。人はその道を、絶妙な気づかいをもち、柔軟な英知をもって、歩まなくてはいけません」と、彼は記した。ププル・ジャヤカルは、序文の中でこう述べた - 「書簡は、稀な慈悲と明瞭さを、開示する。教えと癒やしが、解き明かされる。分離と距離が、消え去る。言葉は流れる。一言として余分ではない。癒やしと教えは、同時である。」と。この本は、魅力的なハードバック版で、提供されている。
愛とは何か。自分の関係なしに、私とは誰か。私自身と社会との間の関係とは、何か。WHAT ARE YOU LOOKING FOR?において、クリシュナムルティは、生の核心的な特徴、すなわち私たちの関係に関して、根本的な考察を提供する。彼は、親たちと配偶者から友人と同僚へ、私たちの最も深い問いを扱う。そして、あなた自身、他の人たちと、身の回りの世界にとって、愛が真に何であるかを、開示する。What Are You Doing With Your Life?と対になる、この本の中の三つの部分は、範囲がさらに拡がって、私たちが他の人々や広い社会との関係において何を探し求めているかを、見つめる。そして、生の意味を見つけようとする私たちの必要性で、終わっている - 「どちらのほうが、重要ですか。生の目的を見出すことですか。または、精神自体を自らの条件づけより解き放ち、それから探究することですか。おそらく、精神が自らの条件づけより自由であるとき、まさにその自由自体が、目的です。なぜなら、結局のところ、どの真理でも発見できるのは、自由の中だけであるからです。」
5.対話の本
THE ENDING OF TIME(和訳『時間の終焉』)は、クリシュナムルティとディヴィッド・ボームが、深遠な実存的な問いについて議論する、一連の重要で啓発的な対話である - 各々、哲学と物理学の大いに異なった背景からの人たちが、存在の根源的性質を解明し、洞察、幻想、目覚め、超越、更新、道徳、現世的なものと霊的なものといった話題を、探査する問いについて、である。クリシュナムルティとボームは、長年にわたって会話を行ってきたが、それがこの書物において頂点に達する。彼らは途中で、社会に対する自らの関係を探検し、新しい洞察を提供する - 思考、死、目覚め、自己実現、断片化した精神の問題、慈悲、愛の純粋性と、思考と時を越えて発生する智恵に関して、である。この本は、クリシュナムルティの教えの多くの主題を、大いなる深みにおいて明らかにする。
クリシュナムルティの最も有名なヴィデオの幾つかが、アラン・W.アンダーソンとのシリーズである。テレビのために作られたこれらの録画から、A WHOLLY DIFFERENT WAY OF LIVING(和訳『生の全変容』)が、作られている。当時、カリフォルニア州立大学サンディエゴ校のこの宗教学教授との広範囲の対話において、クリシュナムルティは、私たちの希望を、組織的宗教、科学、政治的思想や市場経済へピン留めすることは、基礎的な人間の問題に対処しそこなうだけではなく、実際にはそれらを作り出すことを、指示する。政治や社会の領域での前例なき外的変化の時において、根源的な内的変化が、私たちの一人一人に要求される。私たちの困難から抜け出す道は、精神においてのみ、始まりうると、クリシュナムルティは言う - 私たちが生、私たち自身と他の人たちを実際に知覚するさまへの気づきにおいて、である、と。アンダーソンは、これらの対話をとおしてずっと、西洋と東洋の宗教的聖典の多くの文句に、言及する - 誤解されてきたと彼が信ずるし、クリシュナムルティの発言を支持する文句に、である。
FIRE IN THE MINDは、クリシュナムルティとププル・ジャヤカルとの間の十五の対話で、構成されている - 彼女は、長年の友人であり、『クリシュナムルティ 伝記』の著者である。これらの対話は、広範囲の関心事を、扱っている - 恐れ、悲しみ、時、死、そして、自己が終わること、である。彼らはまた、今日の科学研究にとって中心的な主題をも、探検する - 生物学的な生存、意識の本性、脳細胞の老化と更新の問い、といったことを、である。「宗教的な精神は、精確に考えることが可能です。ゆえに、その精神は、内に科学的精神を、含んでいます。ですが、科学的精神は、宗教的精神を、収容していません。なぜなら、それは、時と知識に基づいているからです - それは、成功と達成に根づいています。宗教的精神は、真の革命的な精神です。それは、現在の挑戦へ、そして、すべての時にすべての挑戦へ、全的に応答できる唯一の精神です。」
6.教育の本
「世界は、そのとおりです - 欺瞞的です。欺瞞する政治家、金銭思考の人たち。もし君が、適切に教育されないなら、君はただそれへ滑り込むだけでしょう。で、教育とは何ですか。それは、現在の物事の秩序や無秩序の機構へ填まり込むように、君を助けることですか。」 - クリシュナムルティにより学生たちに出された、これと、さらに多くの同様な問いが、THE BEGINNINGS OF LEARNING(和訳『学びと英知の始まり』)を、形成している。この本は、彼がブロックウッド・パークに設立した学校で行われた対話に、基づいている。これらの活発で、しばしば親密なやりとりは、広い哲学的主題とともに、実践的な日々の事柄に関して、である。この本の第二部は、親と教師たちとの会話の形を、取っている。脈絡が何であれ、クリシュナムルティは、教育の中心的関心事は、探究と気づきをとおした自己認識であるべきことを、強調する。
EDUCATION AND THE SIGNIFICANCE OF LIFE(和訳『人生の意義と教育』、『道徳教育を超えて―教育と人生の意味』、『クリシュナムルティの教育原論―心の砂漠化を防ぐために』)は、個人的に葛藤からの自由につながり、ゆえに地球的にもそうなりうる、真の教育の必要に対する、徹底的な探究である。この本は、ほとんどの教育が、大衆の価値への奴隷的な順応を強調し、技巧をあまりに強調することを、指摘する。代わりにクリシュナムルティは、自己探検と、恐れから自由な環境の必要性を、力説する - そこで真の教育が起こりうる雰囲気を、創り出すように、である。彼はまた、学級の大きさやリーダーシップの機能といった事柄についても、実践的に語る。クリシュナムルティは、本当の教育者の役割を、「最高の専門職」と見た。「教育者は、自由の内的な本性を見て、個々の学生が自らの自己投影した価値と賦課を観察し、理解するように、助ける。彼は、学生が、身の回りの条件づける影響力と自分の欲望に気づくように、助ける - それらはどちらも、彼の精神を制限し、恐れを生み育てる。」
THE WHOLE MOVEMENT OF LIFE IS LEARNING(和訳『アートとしての教育 : クリシュナムルティ書簡集』、前半の和訳『学校への手紙』)を作り上げる手紙の一番目において、クリシュナムルティは、こう記した - 「これらの手紙は、あなたが他のことから少し時間を持つとき、何気なく読まれるためのものではありません。またこれらは、娯楽として扱われるべきものでもありません。これらの手紙は、真剣に書かれています。そして、あなたがそれらを読もうと思うのなら、言われていることを研究したいとの意図をもって、読んでください。あなたが、よく気をつけて花を見つめることにより、その花を研究するだろうように、です - その花びら、茎、色、香り、美しさを、です。これらの手紙は、同じ流儀で研究されるべきです - 或る朝、読んで、その日の残りに忘れてしまうのではない。これに時間を掛け、それと遊び戯れ、それを問い、それを探究しなければなりません - 受け入れなしに、です。しばらくの時間、それとともに生き、それを消化してください - それが、あなたのであり、著者のではないように、です。」と。これらの手紙は、元来、彼の様々な学校へ送られたが、それらの中の洞察は、親、教育者、教育の研究者と、他の人たちにより、評価されるだろう - 人間的な価値と尊厳の深い感覚をもった卒業生たちの十分な発達を、育めない教育体制の失敗を心配する人たちによって、である。それらの卒業生は、物質主義を越えた優先事項に基づいた、地球的な社会を、創り出すかもしれないのだ。
7.総合的な本
370ページのTOTAL FREEDOM の四つの部分は、初期の作品、日常生活への洞察、生の疑問、あなたは世界である、である。それらは、Krishnamurti’s Journal(和訳同上)、Krishnamurti to Himself(和訳『最後の日記』)、The First and Last Freedom(和訳同上)と Commentaries on Living(和訳同上)からの抜粋を、含んでいる。そして、人類の基本的な問題、クリシュナムルティの教えの核心、クリシュナムルティの教えと真理の間の関係、後悔のない全的な行為、といった主題を、探検する。「冥想には、大いなる没我の動きが、ある。それは、眼、頭脳、心に、無垢の性質を与える没我である。生を、何か全的に新たなものと見ることなしには、それは、課業、退屈、無意味な事柄である。だから、冥想は、最大に重要である。それは、計算不可能なものへ、無量のものへ、扉を開く。」
THE AWAKENING OF INTELLIGENCE(ごく一部の和訳『片隅からの自由』)は、クリシュナムルティの教えの最も総合的な書籍の一つであり、ジェイコブ・ニードルマン、アラン・ノーデ、スワミ・ヴェンカテーサーナンダ、ディヴィッド・ボームを含めた個々人との議論を、収録している。ニードルマンは、若者の現状、教師や伝統の役割と、直接的知覚に対するそれらの関係、「宇宙的次元」の気づきの必要性について、問う。アラン・ノーデとは、クリシュナムルティは、善悪の問題、意識の断片化、心理的革命の可能性について、議論する。ヴェンカテーサーナンダは、伝統的なヴェーダーンタの方法に関して、クリシュナムルティへ重要な問いを出す。この本はまた、ニューヨーク、チェンナイ、サーネン、ブロックウッドでの公開の講話と対話を、収録している。「精神が自らの誤謬性を発見するとき、自らは何が可能であるのか、自らは何でないかを発見するとき、智恵が生じてくる。」
8.主題別の本
THEME BOOKS(主題別の本。和訳『恐怖なしに生きる』、『いかにして神と出会うか』、『愛について、孤独について』、『自由とは何か』など)の広範囲なセットは、クリシュナムルティが1933年から1986年の死去までに取り扱った話題に基づいた長短の抜粋を、収録している。これらの本の編纂は、1990年代に初めてクリシュナムルティの講話が検索可能になったことにより、可能になった。扱われた主題は、葛藤、教育、恐れ、自由、神、生きることと死ぬこと、学びと知識、愛とさびしさ、精神と思考、自然と環境、関係、である。これらの書籍は、精選された抜粋により、自らの生におけるこれらの主題のための優れた導入となる。また、特定の主題を深く探究するために、理想的でもある。
9.さらなる提案
上記は、クリシュナムルティの本のわずかな選集にすぎない。他には、THE IMPOSSIBLE QUESTION(和訳『英知の探求』)、CAN THE MIND BE QUIET?、YOU ARE THE WORLD(和訳『あなたは世界だ』), KRISHNAMURTI TO HIMSELF(和訳『最後の日記』)、THIS LIGHT IN ONESELF(和訳『真の瞑想:自らの内なる光』)、FACING A WORLD IN CRISIS, THE NETWORK OF THOUGHT(和訳『思考のネットワーク』) and THE FLAME OF ATTENTION が含まれる。クリシュナムルティの購入可能な書籍すべてと、増加中の小冊子については、私たちのオンライン・ストアをご覧ください。